u1005のブログ

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広告とか性とかwebとか宗教に関して。先端と末端の間から。経済性と社会性の間から。

正義について正面から語ろうじゃないか。

 

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目次

 

絶望は主観的な可能性だとすると、正義って何なのかしら?

これに答えるのは難しい。

少なくとも答えは1つじゃない。

あなたにとっての正義があるし、私にとっての正義があるし、それぞれにとっての正義がある。

 

このうち、私にとっての正義についてはある程度お話できるようになりたい。

 

今日はそんなお話です。

 

社会性と経済性

約30年という時の流れを経た私にとっての正義は、

「社会性と経済性の最大化」であると(いったんは)定義しています。

 

  • 社会的に「良い」行いをすべきだけど、それによって次の世代の選択肢を奪わないだけの経済性は必須である
  • 経済的に「高い」価値を追い求めるべきだけど、それによって人本来の良い行いを損なうべきではない

このように考えるからです。

 

図で整理すると

まずは縦軸に経済性をとります。

 

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要は儲かるか儲からないか。


次に、横軸に社会性をとります。

 

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これは社会的に良い行いかどうか。

 

これを軸に色々な物事を考えてみます。

 

できた4事象に概念を当てはめると

左下

まずは左下。社会的に良くない行いで、経済的にも儲からないゾーン。

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ずばり、不毛と名付けます。

右下

次に右下。社会的には良い行いであっても、経済的には十分な対価を得られないゾーン。

 

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搾取とでも名付けましょう。

 

・「安くて良い品」を追求しすぎて人を蔑ろにしてしまった飲食店
インターンという隠れ蓑で大学生を喰い物にするITベンチャー

・社会性超特化の既存農業

 

などが相対的に当てはまります。

 

左上

次に左上。一定程度の経済性は担保できていても、社会性には疑問符が付く領域です。

 

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年老いてから後悔する(してほしい)領域なので後悔命名します。

 

・極端には詐欺などの犯罪

・fiduciary dutyの概念を忘れた金融業

 

などがここに位置します。

 

右上

最後に右上です。この領域は良い行いをしながら経済性も担保する、そんな領域です。

まっとうに、社会に福利をもたらし、還元としての利益を享受する。当たり前であるようで実は一番難易度の高いゾーンです。

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私にとっての正義という意味で希望と名付けました。

いずれか一方か、両方かの大きな違い

社会性と経済性を軸に正義を語ろうとしたときに注目すべきポイントは、

 

・社会性経済性の一方を追いかけるのか

・社会性経済性の両方を追いかけるのか

 

という点です。

これは非常に、非常に大きい。

 

社会性だけを追いかける

簡単です。
「自然に優しい」でも「動物愛護」でも「無農薬」でも、とにかく社会的に良い行いを行えばいい。

 

経済性に目を瞑ることで社会性に振り切って生きている人をたまに見かけますが、よく考えてみるにその生き方の難易度は高くありません。

 

なぜなら、経済性との両立を目指さないから。

儲からなくて良いのです。ともすれば経済性の獲得を悪とみなす場合もあるくらいに。

 

ここでの問題は明白で、次の世代が同じ社会性の獲得を目指さない可能性が多分に存在することです。無農薬農家の息子や娘が無農薬農家になりたいと願うとは限らず、飲食チェーンの社員の子供が飲食チェーンに努めたがるとは限りません。

 

そして、選択肢を広げるためには(幾分残念ながら)経済性が不可欠です。

そのように考えると社会性に振り切ることのリスクが見えてきます。

 

その選択は、次の世代の選択肢を奪うことにつながっていませんか?

そう問いかけたくなることが、たまにあります。

 

経済性だけを追いかける

簡単です。

「詐欺まがいの不動産営業」でも「弱者につけ込んだ情報商材」でも「まがいものの宗教」でも、とにかく経済性を追求すればいい。

 

社会性に目を瞑ることで経済性に振り切って生きている人をたまに見かけますが、これもよく考えてみるにその生き方の難易度は決して高くありません。

 

なぜなら、社会性との両立を目指さないから。

挙げたのは極端な例ですが、どんな企業も少しはグレーな部分を持っていて、少しは社会性を蔑ろにして経済性を獲得しているはずです。

 

これは程度の問題で、相対的な問題で、どの程度社会性を犠牲にし、どの程度経済性を犠牲にしているかという問題だと思っています。

 

両方を追いかける

途端に難易度が上がります。

できる限り社会性を犠牲にせずにできる限りの経済性を獲得する。非常に難しいことです。

一方で、ここにこそ正義が存在すると信じたいです。

社会的に良い行いをして、利益を得る。そしてこれを追求する。

繰り返してしまいますが、私はこれを正義と定義しています。

 

正義を追求するとはどういうことか

社会性と経済性の両立を正義としたときに、

 

・その両立とはどのような概念か?

・上のグラフで右上を目指すとはどういうことなのか?

 

を考えてみます。

 

①規模の話

1つは簡単に規模の話だろうな、と思っています。

より多くの利益、より多くの社会的幸福、その両立。

 

これを追求するには規模の経済性を存分に利用できる大きな組織が望ましくて、各分野でトップの企業や組織がその使命を担っている、または担うべきであると信じています。

 

逆説的にはその分野でトップまたはそれに近い位置にいないと、社会性と経済性の両立などという絵空事に耳を貸す人は少なくなってしまう気がします。

 

②自分ごと

もう1つは自分ごとであるかどうかです。これは、規模とは全く異なる基準です。いかに自分の近くでその成果を実感できるか。これが意外と重要だと考えるようになりました。

ありきたりな例ですが、遠くで誰かが結婚する場合と自分の娘が結婚する場合を考えてみてください。

ありきたりな例ですが、遠くの誰かが亡くなる場合と自分の親友が亡くなる場合を考えてみてください。

 

どちらが「大きな」出来事でしょうか。

結局のところ人が実感できる物事の大きさは、人が考えるほど大きなものではなく、または絶対的な大きさと同じくらいには身近さを尺度として持っているのでは無いでしょうか。

 

正義が主観的であるという前提に立つならば

冒頭に、

あなたにとっての正義があるし、私にとっての正義があるし、それぞれにとっての正義がある。

 と書きました。

 

これに従って正義を主観的なものと考えるならば、その尺度もある程度主観的なものであるはずです。

 

ので、正義の追求とは規模×自分ごとの組み合わせであると、私は今考えています。

 

より大きな規模で、より身近なところから社会的福利を提供し、これに対して対価を得て次の世代に繋げていく。

 

私にとっての社会性と経済性の追求はこういったことかも知れません。

 

まとめ

最後に、今日のお話を短くまとめます。

 

正義とは:社会性と経済性の両立である

両立とは:規模と自分ごとの追求である

 

以上です。

長々と失礼しました。

 

考え事が趣味です。

つらつらと考え事をして、たまに文章に書き起こしています。

 

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