お祭りに感じる違和感と嫌悪感の正体
お祭りの危機
地域のお祭りが加速度的に減少しているらしいですね。原因は担い手不足。少子高齢化や過疎化が進む日本社会において、特に地方のお祭りは存続が危ぶまれているようです。
私にとってのお祭り
私の地域にもお祭りがあります。8月の最終週に行われる夏祭りで、小さいながら山車や出店が出てそれなりに盛り上がります。
小学校中学年(10才)くらまいでは喜んで参加していた記憶があります。
お祭りに感じた違和感
小学校高学年になると、なんだか違和感をおぼえるようになりました。違和感というか嫌悪感に近い気もします。
いずれにせよその違和感はむくむくと育ち、私はあっという間に地域のお祭りに参加しなくなってしまいました。
ご多分に漏れず私の地域も子供や若者が減っていて、実行委員会のみなさんがわざわざ家まで参加のお声がけに来てくださったことも1度や2度ではありません。
でも、私は頑なに参加しなかった。
時が経ち、あの頃の気持を整理するために今文章をしたためています。
お祭りにおける役職
話は変わりますが、お祭りにはさまざまな役職が存在します。
私の地域では若者頭を筆頭に副頭、会計、連絡係などその役割は細分化されていました。
とくに他の山車とのすれ違いや運行の交渉役を担う先鋒という役職は、私が属していたコミュニティでは英雄視されていました。
提灯を片手に笛を吹きながら運行の先頭で道路を封鎖したりする役職者の目には誇りが宿っていた気がします。
いくつかお祭りにおける役職について解説しているサイトを見つけたのでリンクを張っておきます。
若者連組織について |FEEL成田 成田市観光協会公式サイト
今になって思うのは
結局お祭りは地方在住の低〜中所得者の承認欲求を満たす場所なんだと理解しています。(主観です)
普段社会的に承認されることが少ない人たちが、擬似的にでも社会を作り出し、一時的にでも役職を定める場所。
普段は背負いたくても背負うことのできない責任を、擬似的にでも作り出し、一時的にでも背負う場所。
その証左に若者と言われる年齢を過ぎてもお祭りにコミットしている人間は地元に生きて地元を愛する、所得が低めのいわゆるマイルドヤンキーばかりです(主観です)
私が小学生ながらに感じた違和感や嫌悪感は、この疑似感に起因していたんだと思います。
大の大人が役職ごっこに夢中になっていることに対して、子供ながらに気持ち悪かった。
まとめると
地方のまとまりや鬱屈の発散先としてのお祭りは存続した方が良いと思う一方で、自分の子供に参加させたいかというと悩ましいところです。
小さい頃は純粋に楽しんでもらって、良き年齢で構造を伝えるといいのかな?
と考えています。
まっとうな社会生活の上で十分な社会的責任を果たし、日常生活の中で社会的な承認への欲求を満たしてほしいなあと願うのは、大人のわがままなのでしょうか。
本日はこれにて。