大きな組織で得られるものと蝕まれるもの
今日はメモ代わりに単刀直入に書き殴ろうと思います。 ご容赦ください。
1,000億円以上の売上と50%以上の営業利益を、数百人で作り出す事業部門。
ここで私は何を得て何を蝕まれているのか?
というお話です。
得られるもの
大きく2つ。
①経済的貢献実感
私が今所属している組織では、単純に計算すると1日に3億円程度の売上を作っていることになります。
365日、毎日、休まず、3億円。
しかも半分以上が営業利益。
そしてそこには顔と名前が一致する範囲の人しかいません。
「売上作ってるな、日本経済に貢献しているな」
という実感は大きく得られています。
②社会的貢献実感
ToCのサービスを提供している部門のため、ユーザーを通じた社会貢献の実感もあります。
数千万単位のユーザーに新機能が受け入れられたときなどに、この実感は大きくなるのでしょう。
蝕まれるもの
こちらも大きく2つ。
①意思決定の量
とにかく意思決定の量が圧倒的に少ないです。 詳しくはイノベーションのジレンマなどに譲りますが、定量的なデータに基づいた保守的な意思決定が、上意下達で繰り返されます。
もちろん事業部門以外に目を向けると全社的なチャレンジなどは行われています。
一方で事業部門自体を全社のポートフォリオとして見ると、所謂「金のなる木」に該当します。 リスクをとったチャレンジや、仕掛けることで未来を作るような機会はほとんどありません。
②意思決定の質
残念ながらこれだけ大きな組織では意思決定の質も、とにかく低いです。
大きな理由は意思決定の量が少ない理由と同じですが、組織として意思決定の量が少ないことに慣れてしまうと、いざという時の意思決定の質が本当に低いなあと実感しています。
単純に数字を見て、大きな方を採用する。
競合が伸びてきて、慌てて対策を実行する。
これが意思決定だと認識されています。
個人的には「仮説に基づいて取れるリスクの幅を見定め、資源を投じること」が意思決定だと思っているので、ここに関しての違和感は非常に大きいです。
とはいえ
毎日毎日3億円という売上をひたすらに生み出し続けているわけですから、意思決定に携わる機会が少なくなってしまうのは、一定程度仕方のないことだと思います。
個人的には
言われたことを正確にこなす人間よりは、しっかりと意思決定ができる人間になりたいです。
ということで
そろそろ異動だな。というのが結論。 規模が少し小さくても、質の高い意思決定を頻度高く訓練できる場所に新天地を求めたいと思います。
思いつきの書きなぐり、失礼しました。
組織に関しては
こんなエントリも書いています。