IT企業で全力で働きながらMBAに通って考えていること
金が無いのに「金なんて」とは言いたくないし、理解できないのに「価値が無い」とは言いたくない。
その結果、もといた放牧的な農業という場所を離れ、気づけばMBAそしてIT企業という資本主義の権化のような場所を歩いてる。
一方の資本主義に押しつぶされる形で一方の資本主義を中断するくらいに歩いている。
MBAではいかに効率的に資源を配分するかを学んでいる。
IT企業ではいかに効率的に既得利権をスイッチするかを毎日擦り切れるほど考えている。
そして、やっと、少しだけ見えてきた。
やっぱり方程式で解ける問題に、私にとっての本質的価値は薄い。
売上から費用を引いて利益が残って、残った利益を投資して、また売上を生む。
ビジネスにおける意思決定は、基本的には理論で説明可能な方程式をもって成り立っている。
理論の作り方は人それぞれだけど、説明可能であることは、資本主義における最低限の根拠として求められる。
でも、言葉にできなくて、それでもやりたいことがあってもいい。
やっと、そう言えるようになってきた。
風が吹いているのを感じること
良い波に乗ること
緑の匂いを嗅ぐこと
人と話し、触れ合うこと
どれもビジネスにとっては不要なことだけれど、人が生きる上ではとても大切なことだと、私はそう感じる。
ある人はそれを手触りだと表現する
ある人はそれを宗教だと表現する
ある人はそれを馬鹿にし、忘れ、嘲笑する
絶対的正しさを表現しやすい論理の世界から主観的で抽象的な感覚の世界を見るときに、色眼鏡をかけないのは難しい。
どうしても、怪しい。
でも少し考えると、絶対的正しさを表現しやすいという簡便性に拠って立った理論を振りかざす人々もまた、同様に怪しいのではないかということに、ある程度の理性性を保持したまま同意できつつある。
一方で私自身は資本主義を否定しない。
なぜなら資本主義は本質的には人を幸せにするためのイデオロギーだからだ。
封建主義時代に生きた人の幸せの総量が、資本主義時代に生きる我々より大きいとは考えにくい。
だから、精神世界に身を寄せてこの世界のほとんどを覆っている理論の世界から解脱しようとは思わない。
10年以上のモヤモヤを経て、
豊かさを追求する手段として資本主義をすべて受け入れる以外の方法を考えることに対して、
逃避の手段としての消極的な何かを感じなくても良いことに、
自分の中で説明がつきそうだと感じることができはじめている。
言い換えるなら、逆算に基づいた理論的なアウトプットの追求だけでなく、自分自身のスタンスに基づいた「ありよう」を考え始められそうだと感じることができ始めている。
まだまだモヤモヤは続きそうだけれども、取っ掛かりのようなものが見えてきたので、メモ代わりに。
昔から考えごとが好きです
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