「運も実力」をどのように解釈すべきか
こんな本や
こんな本が流行っていますね。
結局のところどのように構えて、どのように認識すればいいのよ?
と、今日はそんなお話です。
- 運と実力の関係
- たまに見られる極端な例
- たぶん大事なのは
- 内生変数とは
- では外生変数とは
- アウトプットの式に当てはめてみると
- 整理した結果を改めて眺めてみ
- 客観的に考えると
- 主観的に考えると
- 残された道は外生変数に頼らないこと
- でも、世の中はもっと密度が濃いし、もっとたくさんの人がいます
- 一方で
- ツラツラと一日の大半を考え事で過ごしています
運と実力の関係
運と実力の関係は、以下の式で表すのが簡単な方法のひとつだと思います。
アウトプット = 才能 × 努力 × 運
仕事の成果でも、学校のテストでも、何らかのアウトプットを出そうとしたときのことを想像してみてください。 おそらく上の式に則った成果が出てくるはずです。
例えば数学のテストの場合、
数学のテストの点数 = 数学の才能 × テストのための努力 × テストに出る範囲が想定の範囲に収まっているかという運
といった具合です。
もちろんこれ以外にも運と実力の表し方はたくさんあると思いますが、今回は一つの例としてお付き合いください。
たまに見られる極端な例
運と実力についての議論を見ていると様々な意見がありますが、よく見るのはこんな意見ですね
運も実力も両方大切
運をコントロールすることが大事
実力(たぶんここでは才能)と運がすべてだから、努力はムダ
いずれの意見も首を縦に傾けたくなる一方で、なにか違和感を感じませんか?
たぶん大事なのは
「内生変数」と「外生変数」を切り分けて考えることなのかなと、巷の議論を見ていて感じました
内生変数とは
体系の中でその値が決まる変数を指します。乱暴に言い換えると、コントロール可能な変数。
では外生変数とは
内生変数とは逆に、その体系の中で値が決まらいない変数を指します。こちらも乱暴に言い換えると、コントロール不可能な変数。
アウトプットの式に当てはめてみると
アウトプット = 才能 × 努力 × 運
という式、例えると
数学のテストの点数 = 数学の才能 × テストのための努力 × テストに出る範囲が想定の範囲に収まっているかという運
という式のそれぞれの変数に対して、内生変数と外生変数のどちらに該当するかを考えてみます。
- 数学の才能 これは外生変数ですね。持って生まれているので変えようが無い(ある意味では運と同義ですが、一定条件下でのアウトプットを志向する場合を想定して切り出しています
- テストのための努力 これは内生変数ですね。努力は最大で1日24時間、理論上は誰にでもチャンスがあり、コントロールが可能な変数です。
- テストに出る範囲が想定の範囲に収まっているかという運 これは外生変数ですね。最後にテストを受けてみるまでどんな問題が出るかはわかりません。
というわけで、
- 才能 外生変数
- 努力 内生変数
- 運 外生変数
とここでは整理できました。
※努力する才能云々という声が聞こえてきそうですが、あくまで「体系内でコントロール可能かどうか」という視点で物事を整理すると、努力は内生変数であるというのが私の立場です。
整理した結果を改めて眺めてみ
才能と運を外生変数、努力を内生変数だとしたときに何が見えてくるでしょうか。
私は「主観」と「客観」を分けて考えると良いのでは?と考えています。
客観的に考えると
やはり運や才能の占める割合が大きいと言わざるを得ません。 先天的に多くの才能を持って生まれ、人と同じ努力量でも多くのことを学び、運も見方をする。 このような人が結果的には大きなアウトプット、資産、名声を手にいれるのでしょう。
ただし、全てが運であることを努力の放棄につなげてはいけないというのが私の思うところでして、
主観的に考えると
才能も運も、所詮はコントロールできないものなのです。
自分に何の才能があるか、これから先にどのような幸運が(または不運が、悲劇が)起こるかは、一切、誰にも、絶対に、わからない。
ここがこの記事の肝の部分で、わからない部分に対してどのようなスタンスをとるかが本当に大事な部分です。
結局のところ未来なんて誰にもわからないのだから、真面目な話、気にしてはいけない(期待も憂慮も不要)ということですね。
残された道は外生変数に頼らないこと
外生変数のコントロールができない以上、内生変数に向き合う方が生産的です。
つまり、才能や運に思いを巡らせるよりは、目の前のことを努力する方が、最終的なアウトプットには効いてくる可能性が大きいということです。
もちろん人と比べる場合には運や才能の要素が大きく絡んでくるため、シンプルに努力と向き合うことの難易度は低くありません。
「なぜ私より努力が小さいのにアウトプットが大きいのか」
「なぜ運が良かったというだけで幸福を手にしているのか」
という他人に対する不公平感や嫉妬、羨望は簡単に消えるものではありません。
でも、世の中はもっと密度が濃いし、もっとたくさんの人がいます
特定のあの人だけを見て優劣を考えると、運や才能の占める割合が大きい人がいて、(楽して儲けている、生まれながらに持っているという意味で)努力を否定したい気持ちになるのもわかります。
でも本当は世の中には本当にたくさんの人がいて、ある分野でのその人の相対的な順位は、極端には1位〜70億位の幅で上下しています。
一番上を見ると運や才能の世界かも知れませんが、自分の一つ上の人はどうでしょうか。
ほとんど同じ運や才能の持ち主だと思いませんか。
この人を抜くには何が必要でしょうか。多分、ほんの少しの努力です。
一方で
努力を押し付けるのも狙いと異なるので、運と実力に関して、こんなことをツラツラ考えていましたよというところまで。