u1005のブログ

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広告とか性とかwebとか宗教に関して。先端と末端の間から。経済性と社会性の間から。

遊ぶように働き、働くように遊べているか?

あっという間に年末ですね。
本日は社会人生活も13年目を迎えて、40代に向けて考えている仕事観のお話です。

 

 

 

あなたの周りで働いている人は

どのようなスタイルで仕事をしているだろうか?

  • ある種の諦念とともに、「手の届く範囲」で働く
  • 見える部分と見えない部分で力の入れ具合を変える
  • その日の気持ちにや体調によってムラがある
  • 気分が乗る瞬間を捉えて圧倒的に働く
  • 感情を切り離し、タスクベースで工数を管理する
  • とにかく多くの仕事をすることを、自らに課す

色々な働き方がある

 

スタイルは人それぞれだし、一番パフォーマンスが出る働き方も人によるだろう

そんな人それぞれな働き方をつぶさに観察していると、共通点が見える

 

 

遊ぶように仕事を

これができている人は、スタイルを問わず、共通して強いように見える


※圧倒的な能力と合わせて自らを律する強い力を持っている選ばれし人はそもそも強いので除外

 

仕事のように仕事をしている人と比較するとその差は明らかだ

 



とくに辛い瞬間の力抜き方や、中長期的なパフォーマンスに違いが出ているように見える

チームプレイでも個人プレイでも、成功していると言われる人の共通点の一つは「遊ぶように働いているか」だと思う

 

もちろんここで選んだ「遊ぶように」という表現にはいくつかの意味が含まれているのだけれど、ポイントは「働くように遊んでいる人が遊ぶように働くと強い」という点だ



 

 

働くように遊ぶとは

言葉遊びのようになって申し訳ないのだけど、「働くように遊ぶ」とはどういった意味なのかを考えてみる

これを考えるには遊びとはなにかをすこし考える必要がある

 

 

遊びとはなにか

【遊び】
生活的・生存上の実利の有無を問わず、心を満足させることを主たる目的として行うもの

とある

 

実利、つまりはそれにかかるコストやその結果得られる利益を度外視し、心の満足を追いかけるものが遊びの定義だ

 

  • 身体を動かす
  • モノを集める
  • 観劇する
  • 組み立てる
  • 飲む
  • 唄う

いずれも投資や回収といった概念からは離れた行為だ

 

 

では、改めて「働くように遊ぶとは」

結論から述べると「自らに一定の義務を自分に課しながら、継続的な精神もしくは肉体の成長を目的とした努力を行い、さらにその行為を『遊び』として自らに定義し続けること」だと思う

 

遊んでないじゃん!と思われるかもしれないが、あくまで遊びなのだ

 

実利を度外視して心の満足を追いかける行為が遊びであるとするならば、実利とは無縁でも努力とは縁があり、その結果得られるのが心の満足であるとするならば、これは遊びなのだ


肉体的成長を目的としたマラソンや登山がわかりやすい例だろうか

 

実利を求めた投資とは無縁で、完全に遊びの領域の中で、しかしながら厳しい義務を自らに課し続けている(=働くように遊んでいる)人がいかに多いことか

 

また、ここでは「続ける」といった概念も大切だ

無理をした頑張りから短期的なパフォーマンスは生まれても、長期的な成長やそれに伴う成功は絶対に生まれない

 

力を抜くポイントや力の抜き方を学ぶ方が、たとえ短期的なパフォーマンスが落ちても、仕事で例えると半期で結果が出なくても、続けるということを前提に考えるとその方が重要だったりする

 


改に改めて「遊ぶように働く」とは

ここまでの散らかりを整理すると遊ぶように働くとは次のように定義できる

 

  • 「働く」わけなので、実利は無視できない。しかし、それを主たる目的と定義しない(もしくは定義しない自らを意識的に側に置き続ける
  • 中長期的な継続とそれに伴う個人やチームの成長を優先する。短期的なパフォーマンスより、サボっているように見えても、力を抜くポイントを押さえる
  • ベースは継続的な努力。これを義務としてではなく、あくまで自発的に楽しむ。このための努力や工夫を惜しまない

 

つまりはあくまで自然に、楽しそうに、主体的に働きつつ、自分の独断で休むことも選択できる人が「遊ぶように働けている人」ということになる

 

自分の仕事を振り返るに、楽しめているか?と問われて「Yes」と即答できる人は多くないだろう

 

しかしここも含めて自分の仕事をいかに遊びとして定義し、辛さも含めて楽しもうとするかという点こそが、このエントリで一番重要な点かもしれない

 

繰り返すが「遊ぶように働き、働くように遊べているか」は重要である

 

でなければ伊能忠敬はあの精度の日本地図を作り得なかっただろうし、バスコ・ダ・ガマ喜望峰を超えてインドには到達できていないだろう

 

 

ということを

ダラダラ書いたけど、結局楽しんで働いている人はきっと遊ぶように仕事していて、本人がそれに気づいていなくても考えてみるとそうだよねというお話でした。

 

最近エントリが少なすぎるので、もう少しアウトプットの週間を意識して2023は過ごしたいと思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

みなさま、良いお年を。

 

 

私はダラダラ考える葦です