「聞いてあげたい自慢話」と「今すぐ逃げ出したい自慢話」は何が違うのか
- 自慢、愚痴、そして対案の無い批判
- 結論から述べると、自覚(前置き)の有無が決め手
- 意訳① 無自覚な場合(許せないパターン)
- 意訳② 自覚がある場合(許せるパターン)
- 最後に
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自慢、愚痴、そして対案の無い批判
日々の生活でできれば遭遇したくない方に分類されるの話で、でも飲み会なんかでは繰り返されている話。
かわいそうになるほど自慢話ばかりを聞かされている後輩を見かけたりするし、愚痴ばかりのメンバーに辟易するマネージャーを見ていてかわいそうになることもある。
一方で自分が聞く立場になって考えると「快く聞ける自慢話(とか愚痴)」と、「今すぐ逃げ出したい自慢話(とか愚痴)」が存在することに気づいた。
ここについて考えた話。
結論から述べると、自覚(前置き)の有無が決め手
発言する本人が自覚を持ってその言葉を発しているかどうかが「快く聞ける自慢話(とか愚痴)」と、「今すぐ逃げ出したい自慢話(とか愚痴)」の境目なんじゃないかと思う。
「愚痴って申し訳ないな」とか「自慢話なんだけど聞いてほしいな」とか「対案が無くて恐縮だな」という気持ちは、必ずしも言葉になっていなくても、意外と伝わっている。
きっと自慢話そのものがつらいのではなくて、無自覚さがつらいんだ。
意訳を付けるとわかりやすいかも知れないので、以下に付けてみる。
意訳① 無自覚な場合(許せないパターン)
❏自慢話編
先輩「俺はこれまでこんな事をしてきた。こんな実績を作って、こんなこともした。」
意訳「実績作りまくりの俺すごい!」
感想「ああ、過去に縛られているのだな」
❏愚痴編
先輩「俺はこう思う。だけど◯◯(大抵上司か経営層)のせいで実現しないんだよ!」
意訳「俺はすごいんだけど、できないのは俺のせいじゃない!」
感想「ああ、人のせいにして生きてるんだな」
❏対案の無い批判編
先輩「それじゃない気がするんだよね。うん。違うと思う」
意訳「ずばっと言い切る俺すごい!!!!」
感想「ああ、こいつは生産性が無いな」
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まあこんな感じになる。
意訳② 自覚がある場合(許せるパターン)
❏自慢話編
先輩「自慢話になってしまうけど、俺はこれまでこんな事をしてきた。こんな実績を作って、こんなこともした。」
意訳「俺にはこんな経験があるから、これまで溜めてきた知識と経験はどんどん共有するよ」
感想「ああ、この点については積極的に相談しよう」
❏愚痴編
先輩「愚痴になってしまうけど、俺はこう思う。だけど◯◯(大抵上司か経営層)のせいで実現しないんだよ!」
意訳「ごめんだけど愚痴を聞いてほしい or フラットに見ても○○がボトルネックになっていると思う」
感想「ああ、愚痴を聞いてほしい時もあるんだな or 組織を動かしてでも変えなければいけないのかな」
❏対案の無い批判編
先輩「対案が無くて恐縮なんだけど、それじゃない気がするんだよね。うん。違うと思う」
意訳「間違った方向に進んでいるのは確かだと思うから、立ち止まってもう一度検証してみなよ」
感想「ああ、ちょっと立ち止まってみようかな」
例だと極端過ぎるかもしれないけれど、前提の有無で感じる側の感情が全然違うというところは同意いただける部分もあると思う。
最後に
発言に自覚のある人と積極的にコミュニケーションを取りたいものですね。
ありがとうございました。
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