u1005のブログ

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広告とか性とかwebとか宗教に関して。先端と末端の間から。経済性と社会性の間から。

ブランディングの何たるかがすこしだけわかった話

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書きたいこと

デジタルの領域において企業にとっての最適化が進む広告。コンバージョンをKGIに最短ルートを設定して最適解を求める行動は、経済活動としては隙無く正しい。一方で企業にとって最適化された広告がユーザーにとって最も価値ある広告とは言えない 。前提として、すべてのwebサービス、特にメディアはユーザーの存在を大前提として成り立っている。ユーザーの存在が大前提であるはずのwebサービスにおける広告が、ユーザーにとって価値があると言い切れない状況に課題を感じる。そんなWebにおける広告の課題を解決したい、ユーザーにとって最良の広告ってなんだろうという疑問の解決に向かって、自分の理解や考えを進めたいという話。

疑問に思っていたこと

長いこと疑問に思っていた。「ユーザーにとって最良の広告ってなんだろう」「企業にとってブランドってなんだろう」「ブランディングってなんだろう」「webにおけるブランディングってなんだろう」どれも盛んに議論されている内容だけど、答えをもって広告を扱えている人間は業界内でもごくわずかだと思う。

わかったこと

キーワードは感情であるということ。これだけでも個人的には考えがすごく進んだ。

マーケティングの基本の話

マーケティングは認知→興味関心→比較検討→購買→再購買というファネルで説明されることが多い。(ただし、このファネルは意識的領域においてのみ有効なので、無意識的な領域は今回該当しない)そしてそれぞれのフェイズにニーズ喚起、製品ブランド理解、刈り取り、囲い込みなどの企業アクションが設定されていて、それぞれに投資がなされている。

ちなみに一言で表すなら、行動変容を起こすのがマーケティング

デジタル領域におけるマーケティング

デジタルは結果が見える(交通広告などと異なり、何人が広告を見て、そのうち何人が購買に至ったかを仔細に追うことができる)。見える結果は見たくなる。結果が見えると最適化したくなる。企業にとっての最適化を進めていくと、消費者にとって価値をもたらすもので無くなっていく側面もある。

ユーザーにとって最良の広告

ユーザーにとって最良の広告を定義することは意外と簡単で、その広告そのものが好きだと感じる広告が最良の広告だと思う。例えばJRの「ぜんぶ雪のせいだ」とかが有名。デジタルの領域を除いた分野では、ユーザーにとって最良の広告をブランディングと呼んでいたように思う

企業にとってのブランド、ブランディング

企業にとってのブランドは、少なくとも短期間で購買に至ったかどうかで測定できるものではない。ただ経営資源を投下してブランディングを行うからには、何らかの方法で効果を検証する必要はあった。今までは結果論+経験論で広告費は投下されてブランディングを含む効果が検証されてきた。また、アンケート型の調査によって好意度や満足度を検証する方法も用いられてきた。プロモーションとブランディングの境目は明確でなかったが、これは効果の検証が不可能であったことに加え、曖昧な方が都合が良い状況が多数あったからだと思われる。

デジタルにおけるブランディング

効果検証が容易なデジタルの領域においてはプロモーションとブランディングを明確に切り分ける必要がでてきた。ここの切り分けができていないから、より最適化が容易なプロモーションに寄った広告が増えているし、ブランディングが蔑ろにされていて、結果ユーザーにとって最良の広告が提供されにくい現状になっている。

ブランディングの本質とはなにか

行動変容の素地を作るのがブランディング。行動変容は理解によってもたらされる。理解は教育によってもたらされる。教育は好意によって受け入れられる。ファネルで考えるなら、認知される可能性を広げたり認知から理解に移行する割合を高めたりするのがブランディングの目的。

理解は2種類ある

主観的理解と客観的理解。主観的理解はその人にとっての価値。客観的理解は共通の価値。客観的理解は主観的理解と比較して伝えるのが容易。逆に、主観的理解は伝えるのが難しい(主観だから当たり前だけど)。

広告において重要な理解の要素

主観的理解といかに向き合うかが広告にとっては重要。というか、客観的理解のみで選択が可能な購買領域においては広告そのものの概念がほとんど必要ない。また、本人が理解すべきことと本人が理解していることには往々にして隔たりがある。気づきを与える広告 という表現がしばしば用いられるのは、主観的理解をうまく促している広告への評価だと思う。

主観的理解を促すための具体的な手法

これまでは隠喩が用いられてきた。主観的でありつつも、より広範囲にその理解が広げられるような表現が研究されてきた。そして企業はこれをブランディングとあいまいに定義してきた。本質を少しだけまぜたキャッチコピーとか、シーンを描写するとかが具体例になる。

いったんまとめると

認知→理解→購買を形成するマーケティングにおいて、企業から発するメッセージ(目的は認知だったり理解だったり購買だったりする)を消費者が受け入れる素地を作るのがブランディング。例えば同量の広告を出稿した際に、その広告に反応する人の割合を増やすのがブランディングの役割。マーケティングの目的である行動変容は理解によってもたらされ、理解は教育によってもたらされ、教育は好意によって受け入れられる。

ところで、好意とはなにか

感情。理論に勝る。あらゆる理論的学問はそれを学びたい、発程させたいという感情に起因している。

それでは感情とはなにか

本能。好き嫌いって理論的で無い場合の方が多いと思う。いわゆる何となく好きってやつ

本能とはなにか

基本的には種の存続を目的としてDNA単位で組み込まれているプログラム。

本能は定量的に測定することができるか

できない。だから、定量的に測定することができる指標に置き換えて考える

定量的に測定することが可能な指標

1,従来のアンケート型調査 満足度、推奨度などの調査。無意識的な感情の動きを本人に答えさせようとする部分で無理が生じている。

2,共有 近しい。好きなもの、好きなことは人と共有したくなる。よってバズが指標として利用されている。ただし、バズる広告が好意を持たれた広告であるという理解にはならない。共有を促す要因は好意に限らないため。

3,分類 消費行動を引き起こす感情の変化を分類して分類ごとの指標をつくる。例えば、

 人生で成功したい:意味のある人生を歩んでいると実感できる ことの実現に寄与する  幸福感に浸りたい:調和の取れた期待通りの人生だと実感できる ことの実現に寄与する  注目されたい:独特な社会的アイディンティティを発している ことの実現に寄与する

など。

まとめ

・企業にとってブランディングとは好きになってもらうこと ・好きは感情、感情は理論では動かない ・感情を分類して分析することで、webにおけるブランディングの未来がみえるかもしれない

続きはまた今度。