なぜ中学生の合唱が、プロの合唱より魅力的に感じるのか
いまだに
中学校のときの合唱コンクールの音源を聞き続けている。
同じ楽曲をプロが歌っていて、間違いなく技術はプロの方が優れている。
でも、すくなくとも自分にとって魅力的なのは中学生の合唱だ。
自分が歌っているからか?
そうじゃない。他のクラスや他の学校が歌っている曲も、プロより全然魅力的に感じる。
なんでだろう?
ここについて考えた話。
14年という
彼らのまだ短い人生の中ではかけがえのない仲間。
形成されつつある自覚。
未来への漠然とした大きな不安と、ほんのすこしの希望。
存在は確かに感じていて、でも言い当てることができない不審。
そんなものに抗いたくて、それだけは信じたくて、例えそれが逃避の手段であったとしても、募る純粋な想い。
追いつかない技術を軽々と追い越していく気持ち。
原理的に音楽は音の集まりと繋がりだから、その量であったり組み合わせの正確さ、忠実さが問われるはず。
でも、僕らは確実に、技術を追い越した気持ちを感じる事ができる。
速すぎるテンポ、効かない抑揚、外れる音階。
そんな音楽の原理原則から離れた
「技術を追い越していくスピード」に心が共振して
プロの完璧な技術よりも魅力に感じている。
そんな結論。
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