u1005のブログ

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広告とか性とかwebとか宗教に関して。先端と末端の間から。経済性と社会性の間から。

酒を飲むことのデメリットを機会費用の観点で考える

簡単な計算だけど1年単位で見るとゾッとするよねというお話

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お酒、飲みますか?

残念ながら自分は飲まない。体質的に合わないこともあって、社会人になってから10年近く、全くと言ってよいほどお酒を口にしていない。

 

飲み会やおつまみは大好きなので飲み会に行かないというわけではなく、単純にアルコールを摂取しない感じ。

 

飲む人と飲まない人の圧倒的な差

結論から入るとずばり「酔っ払う」ことが圧倒的に違う。飲み代なんて些末な問題だ。酔っ払うことの重大さは飲み代の比ではない。酔っ払うことが多くの人にとってお酒を飲む意味の少なくない割合を占めているだろうから当たり前なのだけど。

 

酔っ払うことの(ある側面における)本質的な意味合い

酔っ払うことの本質的な意味合いに「快楽に身を任せて現実を忘れる」ことがあると思う。辛い仕事、使えない部下や上司、不条理な決定。どうしても納得のいかないあれやこれやを、人は酔っ払うことでなんとか乗り切るのだ。

 

快楽と引き換えに失うもの

圧倒的に時間を失う。具体的には努力に割ける時間だ。

酔った人がランニングをしたり、単語を覚えたり、レポートを書いている姿が想像できるだろうか?

 

そんなことはわかっている。気分転換も大事だ

という人もいる。でも実際に習慣的にお酒を飲んで酔っ払う人の中で、どれくらいの人がどれくらいの時間を失っているかを計算しているだろうか

 

ちょっと計算してみる

週1回飲む。20時に飲み始める。22時まで飲む人の場合

・飲んでいる時間を除いても22時から25時の3時間は酔っ払って過ごしていることになる。(1時に寝て7時に起きると仮定)

・1年間では3時間×52週間=156時間を酔っ払って過ごしてる。

・簿記2級くらいは初学から学んで取得できる。

 

週3回飲む。20時に飲み始める。22時まで飲む人の場合

・同じく1日あたり3時間を酔っ払って過ごす。週3回飲むと週9時間だ。

・1年間では9時間×52週間=468時間を酔っ払って過ごしている。

応用情報技術者くらいなら、初学からでも頑張れば取得できる。

 

休肝日は週1回、20時に飲み始める、22時まで飲む人の場合

・1日3時間×6日=週18時間

・18時間×52週=936時間

・改めて考えてほしい。3時間×6日×52週間だ。もはや何でもできる。




「晩酌はしますか?」

「ええ。週に一度は休肝日を設けています」


というやり取りの中に極端に言えば1年間で936時間が隠れている。


私なら本を読むし、レポートを書くし、ランニングをする。語学を学ぶ。もちろん本人の自由だけれど。

 

極論だとは思うけれど

これを10年続けたらどうだろう。もちろん酔わなかったからといってその時間をすべて何らかの努力に費やせるわけではない。

でも、酔っ払うことで努力できるはずだった時間を事前に放棄していることも事実だ。

 

機会費用という言葉があるけれど、少なくともこの機会費用は意識してもいいのかな?と思う年末年始の今日でした。

 

考えごとカテゴリのエントリ

考えごとが好きです。多分生まれながら。

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お祭りに感じる違和感と嫌悪感の正体

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お祭りの危機

地域のお祭りが加速度的に減少しているらしいですね。原因は担い手不足。少子高齢化や過疎化が進む日本社会において、特に地方のお祭りは存続が危ぶまれているようです。

 

www.nhk.or.jp

 

私にとってのお祭り


私の地域にもお祭りがあります。8月の最終週に行われる夏祭りで、小さいながら山車や出店が出てそれなりに盛り上がります。

 

小学校中学年(10才)くらまいでは喜んで参加していた記憶があります。

 

 

お祭りに感じた違和感


小学校高学年になると、なんだか違和感をおぼえるようになりました。違和感というか嫌悪感に近い気もします。

 

いずれにせよその違和感はむくむくと育ち、私はあっという間に地域のお祭りに参加しなくなってしまいました。


 

ご多分に漏れず私の地域も子供や若者が減っていて、実行委員会のみなさんがわざわざ家まで参加のお声がけに来てくださったことも1度や2度ではありません。

 

でも、私は頑なに参加しなかった。

 

時が経ち、あの頃の気持を整理するために今文章をしたためています。

 

お祭りにおける役職

 

話は変わりますが、お祭りにはさまざまな役職が存在します。

 

私の地域では若者頭を筆頭に副頭、会計、連絡係などその役割は細分化されていました。


とくに他の山車とのすれ違いや運行の交渉役を担う先鋒という役職は、私が属していたコミュニティでは英雄視されていました。


提灯を片手に笛を吹きながら運行の先頭で道路を封鎖したりする役職者の目には誇りが宿っていた気がします。

 

いくつかお祭りにおける役職について解説しているサイトを見つけたのでリンクを張っておきます。

 

若者連組織について |FEEL成田 成田市観光協会公式サイト

 

曳行時の役割 - 岸和田市公式ウェブサイト

 


今になって思うのは

 

結局お祭りは地方在住の低〜中所得者の承認欲求を満たす場所なんだと理解しています。(主観です)



普段社会的に承認されることが少ない人たちが、擬似的にでも社会を作り出し、一時的にでも役職を定める場所。

 

普段は背負いたくても背負うことのできない責任を、擬似的にでも作り出し、一時的にでも背負う場所。

 

その証左に若者と言われる年齢を過ぎてもお祭りにコミットしている人間は地元に生きて地元を愛する、所得が低めのいわゆるマイルドヤンキーばかりです(主観です)

 

私が小学生ながらに感じた違和感や嫌悪感は、この疑似感に起因していたんだと思います。

 

大の大人が役職ごっこに夢中になっていることに対して、子供ながらに気持ち悪かった。

 

 

まとめると


地方のまとまりや鬱屈の発散先としてのお祭りは存続した方が良いと思う一方で、自分の子供に参加させたいかというと悩ましいところです。


小さい頃は純粋に楽しんでもらって、良き年齢で構造を伝えるといいのかな?
と考えています。

 

まっとうな社会生活の上で十分な社会的責任を果たし、日常生活の中で社会的な承認への欲求を満たしてほしいなあと願うのは、大人のわがままなのでしょうか。

 

本日はこれにて。

 

人はなぜ生きるのか

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考えて考えて考えて、納得するまで考えた、自分にとっての善や良や正義を、自分にとって一番良い方法で、より多くの人に伝えるために生きてるんだと思っている。

 

 

主義主張

多様でいい。生まれたタイミングや環境で主義主張は大きく変わる。

 

 

異論反論

当然存在する。主義主張という概念そのものが、異論反論を前提として存在している。

 

 

排他と排斥

自らの主張を通すために、時には「押しのける」という行為が手段の一つとして選択されうる。ただし、それが主義や正義の最大化という目的に資さない場合が多い

 

 

排他や排斥の手段として望ましくないこと

物理的に誰かしらの痛みを伴う手段

 

 

気をつけなければならないパターン

主張間に圧倒的な支持者数の差がある場合。とくに多数派を形成する集団が思考停止に陥る

 

 

気をつけなければならないパターンその2

歴史的、文化的な理由でフラットな議論の素地が形成されていない領域。主張が感情レベルまで染み込むことは珍しくなくて、性の議論や宗教の議論がこの典型例

 

 

なぜこんなことを考えたのか

4月から大学院に通い始めて仕事も忙しくて全然サーフィンに行けなくてそれでも充実してて、残された人生を生きていく上での優先順位を改めてつけなきゃいけなくて、自分が頑張ることと人に頑張りを推奨することの間にある差を、言葉で考えたかった

 

 

まとめ

勉強がんばる。

だれにでもできる、簡単な給料の上げ方

 

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中長期的には誰にでも認められる実績を出してわかりやすく説明する。

 

短期的には人事権と決裁権を持つ上司と以下の3つを共有する。

 

1,弱み

2,秘密

3,敵

仕事ができようができまいが、これだけ押さえれば100%給料上がる。

以上、誰にでもできる簡単な給料の上げ方でした。

「聞いてあげたい自慢話」と「今すぐ逃げ出したい自慢話」は何が違うのか

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 自慢、愚痴、そして対案の無い批判


日々の生活でできれば遭遇したくない方に分類されるの話で、でも飲み会なんかでは繰り返されている話。
 
 
かわいそうになるほど自慢話ばかりを聞かされている後輩を見かけたりするし、愚痴ばかりのメンバーに辟易するマネージャーを見ていてかわいそうになることもある。
 
 
一方で自分が聞く立場になって考えると「快く聞ける自慢話(とか愚痴)」と、「今すぐ逃げ出したい自慢話(とか愚痴)」が存在することに気づいた。

ここについて考えた話。
 
 

 結論から述べると、自覚(前置き)の有無が決め手


発言する本人が自覚を持ってその言葉を発しているかどうかが「快く聞ける自慢話(とか愚痴)」と、「今すぐ逃げ出したい自慢話(とか愚痴)」の境目なんじゃないかと思う。
 
 
「愚痴って申し訳ないな」とか「自慢話なんだけど聞いてほしいな」とか「対案が無くて恐縮だな」という気持ちは、必ずしも言葉になっていなくても、意外と伝わっている。
 
 
きっと自慢話そのものがつらいのではなくて、無自覚さがつらいんだ。

意訳を付けるとわかりやすいかも知れないので、以下に付けてみる。
 
 

 意訳① 無自覚な場合(許せないパターン)


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❏自慢話編
先輩「俺はこれまでこんな事をしてきた。こんな実績を作って、こんなこともした。」

意訳「実績作りまくりの俺すごい!」

感想「ああ、過去に縛られているのだな」
 
 
❏愚痴編
先輩「俺はこう思う。だけど◯◯(大抵上司か経営層)のせいで実現しないんだよ!」

意訳「俺はすごいんだけど、できないのは俺のせいじゃない!」

感想「ああ、人のせいにして生きてるんだな」
 
 
❏対案の無い批判編
先輩「それじゃない気がするんだよね。うん。違うと思う」

意訳「ずばっと言い切る俺すごい!!!!」

感想「ああ、こいつは生産性が無いな」
 
-- 
まあこんな感じになる。
 

 意訳② 自覚がある場合(許せるパターン)


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❏自慢話編
先輩「自慢話になってしまうけど、俺はこれまでこんな事をしてきた。こんな実績を作って、こんなこともした。」

意訳「俺にはこんな経験があるから、これまで溜めてきた知識と経験はどんどん共有するよ」

感想「ああ、この点については積極的に相談しよう」
 
 
❏愚痴編
先輩「愚痴になってしまうけど、俺はこう思う。だけど◯◯(大抵上司か経営層)のせいで実現しないんだよ!」

意訳「ごめんだけど愚痴を聞いてほしい or フラットに見ても○○がボトルネックになっていると思う」

感想「ああ、愚痴を聞いてほしい時もあるんだな or 組織を動かしてでも変えなければいけないのかな」
 
 
❏対案の無い批判編
先輩「対案が無くて恐縮なんだけど、それじゃない気がするんだよね。うん。違うと思う」

意訳「間違った方向に進んでいるのは確かだと思うから、立ち止まってもう一度検証してみなよ」

感想「ああ、ちょっと立ち止まってみようかな」
 
 
例だと極端過ぎるかもしれないけれど、前提の有無で感じる側の感情が全然違うというところは同意いただける部分もあると思う。

 最後に


発言に自覚のある人と積極的にコミュニケーションを取りたいものですね。
 
 
ありがとうございました。
 
 

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なぜ中学生の合唱が、プロの合唱より魅力的に感じるのか

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 いまだに


中学校のときの合唱コンクールの音源を聞き続けている。

同じ楽曲をプロが歌っていて、間違いなく技術はプロの方が優れている。

でも、すくなくとも自分にとって魅力的なのは中学生の合唱だ。

自分が歌っているからか?

そうじゃない。他のクラスや他の学校が歌っている曲も、プロより全然魅力的に感じる。

なんでだろう?

ここについて考えた話。

 14年という


彼らのまだ短い人生の中ではかけがえのない仲間。

形成されつつある自覚。

未来への漠然とした大きな不安と、ほんのすこしの希望。

存在は確かに感じていて、でも言い当てることができない不審。

そんなものに抗いたくて、それだけは信じたくて、例えそれが逃避の手段であったとしても、募る純粋な想い。

追いつかない技術を軽々と追い越していく気持ち。

原理的に音楽は音の集まりと繋がりだから、その量であったり組み合わせの正確さ、忠実さが問われるはず。

でも、僕らは確実に、技術を追い越した気持ちを感じる事ができる。

速すぎるテンポ、効かない抑揚、外れる音階。

 そんな音楽の原理原則から離れた


「技術を追い越していくスピード」に心が共振して

プロの完璧な技術よりも魅力に感じている。

そんな結論。

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「AIが仕事を奪う」というのは、どういうことなのか

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Aさんの場合


結婚していて、子供がいる。

住宅ローンを月に10万円払っていて、車を所有している。

子供にお金がかかるようになってきたが、若い頃思っていたように給料は上がらない。

妻にはパートに出てもらっている。

空いた時間を利用して働くことができるコンビニだ。

扶養の範囲内だが、月に9万円は大きい。

非常に助かっている。

これが無いと正直我が家は赤字かも知れない。

妻のパート代のおかけで、年一回の家族旅行代金や子供の教育資金を捻出できている。

ある日家に帰ると妻がうつむき加減に話かけてきた。

「来年からお店のレジが無人になるんだって。」

「私達の仕事の半分はレジでの接客だから、その分シフトを半分に減らさなきゃならないって。」

私はただ緩慢に過ごした20代の自分を呪った。

だがもう遅い。

あの頃には、戻れない。

何年か後の未来


それまでしていた仕事がキレイさっぱりドラスティックに無くなるわけじゃない。

「人じゃなくてもできる」部分がじわじわとAI(機械)に侵されるんだ。  

そのじわじわが意外とクリティカルに効いてくる。

こんな未来を想像しています。

参考にしたニュース


http://www.yomiuri.co.jp/economy/20171225-OYT1T50026.htmlwww.yomiuri.co.jp

www.businessinsider.jp